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米国エルフュー犬舎主BrianT.Hays氏から日本でエルフュー系統の存続を依頼されたので快く引き受けました。  

電話でのお問い合わせは携帯:090-1574-3000

〒780-0818 高知県高知市宝永町8-27 



このページは http://www.elhewkennels.jp/ へ移転しましたのでここをクリックして新しいエルフュージャパン犬舎を参照下さい。



◆ 始 め に ◆
★ 以下の文章を読み上げます。

 このホームページに度々出て来るアメリカのエルフュー犬舎創立者ロバート・G・ウィール(RobertGordonWehle)氏の名称を「ボブ」と書きます。
 二代目の犬舎主ブライアン・テーラー・ヘイズ(BrianTailorHays)氏は「ブライアン」と書きますので宜しくお願い致します。

◆ ボブが日本人にエルフュー直系を譲渡しなかった理由 ◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 1,964年にボブが出版した鳥猟犬訓練の聖書と言われ50年以上犬識眼のある人達に親しまれてきた著書WING & SHOTをトルーマン・コールズ氏やプレストン将軍などの仲介者によって日本で紹介された頃にはボブは日本人に非常に好意的で、著書WING & SHOTの著作権を全て日本人のために放棄して下さいました。

それにも係わらず、全猟誌でのペンネーム「青山ドッポ」氏にプレストン将軍が頼まれてボブがテスト繁殖した母犬ファスト・デリバリー・ベス(ファースト・デリバリー×パラデンズ・ヴィタリー・パット)へ父犬エルフュー・ヅースを交配して生まれた一頭エルフュー・ナーグを買ってきました。
そのナーグの交配広告写真を全猟誌などへ投稿しました。

(左の写真はラッキートリガー 中央は
問題のエルフュー・ナーグです。右はエルフュー・ミッヂ)
この写真を見たボブは激怒してその後日本人が訪ねて来ても嘘八百の話をしたり勿論エルフュー直系は一頭も日本人には譲渡しませんでした。

◆ ボブはテスト繁殖の結果良くない子犬を淘汰しません。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


  テスト繁殖し、厳しい選択の結果、エルフュー系統に貢献できない除外されたポインター達は、淘汰しないで悲しい別れと言って、エルフュー犬舎主ボブは販売しました。
 この様な犬達を商売目的で購入したり、エルフュー犬舎で繁殖された犬なので、エルフュー直系では無い事を知らないで購入した人も沢山居ると思います。

◆ ボブはジャパン・フィールド・トライアル・クラブの会員を希望してました。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 親愛なるプレストン将軍殿 1966年4月11日(昭和41年)
 大変遠方からでしたが貴殿から再び御便りを頂戴出来た事は大変嬉しく存じます。
日本の方々が 「ウイング・アンド・ショット」の何の部分でも御希望なだけ翻訳される様喜こんで居り、又そうされる事を承認致します。
又私は、カントリー・プレス・パブリッシングカンパニーを所有して居りますので出版者の許可も心配なく得られます。
 私の唯一の希望は翻訳された、その本を数冊御送り戴き又ジャパン・フィールド・トライアル・クラブ(JFTC)の会員となりたい事です。
勿論ジャパン・フィルド・トライアル・クラブのいくつかの刊行物が英訳される事を望みます。
貴殿の御出を楽しみに御待ちして居ります。
                           敬具
ロバート・G・ウィール

◆  ウンイグ・アンド・ショット翻訳文へプレストン氏の序文 ◆
★ 以下の文章を読み上げます。


序文
 鳥猟犬についての本、ウンイグ・アンド・ショットは、エルフュー犬舎の所有者であり、又経営者でもあるニューヨーク州スコッツヴィルのロバート・G・ウィール氏によって書かれたものである。
 これは鳥猟犬の選択、飼育、訓練等の主題を扱って居る。
私が嘗つて読んだ中で、この主題についての本では一番素晴しいものであり、何度も読みかえして居る。
 著者は鳥猟犬のエキスパートとして非常に適性であり、彼は生涯の大部分を猟犬の作出や訓練に過され彼等と共に猟をしフィールドトライアルに於て彼等をハンドルし又審査して来られた。
この本の中でウィール氏はその鳥猟犬と共にした生涯に学んだ事柄を読者に役立つ様にして居る。
 私の立派な友人の医師坪井義夫氏がジャパン・フィルド・トライアル・クラブの愛犬家達にこの教えを公開する為に翻訳をされた。
 J.F.T.C. の会員の方々はこの坪井氏の仕事に感謝し全ての会員の方が熱心に勉強され、坪井氏の努力の結晶に報いなければならない。
空軍中将 MAプレストン

◆  ウンイグ・アンド・ショット翻訳文へ田島英雄氏の序文 ◆
★ 以下の文章を読み上げます。


序文
 私の友人坪井義夫氏は多忙な医師の御仕事にありながらJFTCの会員の方々をはじめ全愛犬者のためにこの本を翻訳された。
先生の御努力に報ゆるのはこの本を熟読し勉強して一層フィルード・トライアルに対してより高度な見識と興味をもって戴くことであります。
 著者 R.G. ホイール氏は長年つまり1936年からシューティングドックの系統繁殖に着手され今日のエルフューケンネルを築き上げたものであります。
 彼がCHエルフューマークスマンを作出しその強然な優性遺伝によって七頭のCHを作出し更に多くの優秀犬を世に送り出しつつあるのには雌伏20数年のたゆまざる努力、研究があったのであります。
 彼はそのファウンデーションをスコットランドのグラムーアーより移入しこれに嗅覚と頭脳の秀れたニューイングランドの名犬レキシントンジェーク、更にこれにNCHの中でも最も安定した猟技のCHエアーパイロットサムの血を導入更にこれ等の子孫を系統内繁殖しシューチングドックの名系を確立したのであります。
 氏の血の滲む様なこの尊い経験から生れた蕃殖・飼育・訓練撰択の理論を集積したのがこの本であります。
全編に涉つて忠実、正確な翻訳に対して讃辞を惜しまぬものであります。
田島英雄



◆ ボブは石橋 徳次郎先生にも嘘八百の話をしています。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 ボブは、壁掛けに描かれた3頭の絵画について、エルフュー犬舎の代表チャンピオン犬、エルフュー マークスマンとエルフュー ゼウスとエルフュー ジャングルだと嘘八百の説明をしています。
この3頭のNationalChampion犬達は、全て白リバー色で、白黒や白オレンジは居ません。
この壁掛けに描かれている絵画は、エルフュー犬舎創立50周年を記念して、中央の絵画をロバート・K・アベットが描き、四隅の線画はハーベイ・L・シブリーが描き、1986年10月にバーモント州バーリントンのジョージ リトル プレスより出版し、その中央の絵画を使って壁掛けを作り近親者に50周年の記念品として進呈したそうです。
因みに、エルフュー系統から生まれてくる顔の外貌は、この中央の絵画に描かれた、見た通りの三種類のみです。
毛の色は、白黒と白リバーとオレンジの三種類ですが、オレンジ色は、白オレンジと白オレンジ ブラックの四種類がエルフューポインターなのです。
 白オレンジブラックとは、鼻先と足裏のパットつまり肉球が黒色の事を言います。
結局、石橋 徳次郎先生もエルフュー犬舎の自家保存犬、つまり直系は、一頭も購入する事が出来なかったそうです。

◆ こんな笑える話もあります。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 私の記憶を辿ると確か2,005年か2,006年の事だと記憶していますが島根県の温泉旅館で北村幸三氏と高瀬氏と3人で宿泊し就寝前に北村幸三氏がニューヨークのエルフュー犬舎を6~7人で訪問した時にボブから「エルフューポインターの子孫は荷車を引く犬」だと聞かされた事を話してくれました。
当時ボブが高知で荷車を引く犬の話を聞いた事を知らなかったので、私の推測で著書WING & SHOTの117ページへ写真と共にエルフュー・ポインターを使ってカナダ北東部の犬そりレースで何度も優勝した話が書かれているが無知な通訳者が荷車を引く犬と翻訳したのではと言ってこのWING & SHOTの写真を見せると北村幸三氏は、恥ずかしいと行って照れ隠しで布団に潜り込んでしまいました。

 2,008年にエルフュー犬舎のブライアンから高知で聞いた荷車を引く犬の事を思い出して話したところ・・・誰一人エルフューポインターの先祖はアオア系のジェム・オブ・ファーンだと言う知識人がいなかったそうです。
当時の人達は現存している人は少ないと思いますが鳥猟犬界の幹部の人達が6~7人でニューヨークのエルフュー犬舎を訪問した時にボブから聞かされた話は、ボブが高知県の天然記念物尾長鶏と闘犬の土佐犬を視察に来た時に懇親会で土佐では大型のポインターを使って荷車を引かせていたという話を聞かされたそうです。
そこでボブの嘘八百話が始まったのです。
実は私のエルフュー・ポインターの先祖は荷車を引くポインターだと話したそうです。
日本へ帰ってこの事を話したら大恥をかくだろうとボブは考えていたそうですが実は競技会等でエルフュー系のパフォーマンスが悪いと「たかが車引きの犬」だからと言う造語が流行ったと言う事で大笑いしたそうです。
この話は2,008年にエルフュー犬舎を訪問した時にブライアンから聞かされて大笑いをしました。

◆ 2,008年エルフュー系統を求めてアメリカへ ・・・◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 アメリカのエルフュー犬舎ではポインターを購入する事が出来ないので、福岡県の猟友田中 至氏にお願いして電話や電子メールで連絡を取って戴きボストンのオータムメモリー犬舎から繁殖用のエルフュー系ポインターの牝犬を30万円で購入約束していただきました。
 オータムメモリー犬舎のデビット氏は、繁殖用の牝犬は数頭居るが実際に狩猟能力を確認してお気に入りの牝犬を決定すれば良いので牝犬のバードワークを見せてくれると言われ2,008年10月5日に訪問する事に決定しました。

誰の見送りも無く一人ぽっちで福岡行きの夜行バスを待ちます。

夜行バスで福岡県の猟友田中 至氏宅まで・・・!

福岡空港から・・・羽田空港・・・成田国際空港・・・ケネディー空港・・・ニューヨーク空港着!

ニューヨーク空港から白タクで最低料金のおんぼろホテルへ・・・危険なので夜は絶対に外出禁止です。

若い人は見た事も無い電灯スイッチですが懐かしく感じました。

 私は若しエルフュー犬舎主との面会が可能なら「日本人として名誉回復」の為にこのバックの中に10㎏以上のエルフュー系統についての学習資料を詰め込んでオータムメモリー犬舎より先にエルフュー犬舎を訪問しました。
エルフュー犬舎主ブライアンは、悪性の癌に犯されていて余命数年と告知されていました。
 ブライアンは私と通訳の田中 至氏を快く受け入れてくれました。

その日はエルフュー・ポインターの話で盛り上がり途中でマーサー夫人が買い物をしてきて、ブライアンが数時間かけてオーブンで大きな牛肉の固まりを焼いて英国伝統文化の親しい信頼できる人に主人自らが調理して振る舞うディナー料理をご馳走になり、その晩はエルフュー犬舎専属ホテルを予約してくれるという思っても居なかった心遣いに感銘しました。


◆ その後思わぬ展開で興奮して数日まともに眠れなかった ◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 ブライアンから予定を聞かれたので10月5日にオータムメモリー犬舎を訪問する予定を話すと、アメリカにはエルフュー犬舎の跡継ぎが居ないので是非日本でエルフュー犬舎の跡継ぎをお願いしたいとの相談がありました。
夢物語のような話に驚きましたが、私のエルフューポインターについての犬識を理解してくれての話なので快く約束をしました。
 翌日ブライアンはボストンのオータム・メモリー犬舎まで一緒に購入約束の断りに行ってくれました。
オータム・メモリー犬舎のデビットも快く応対してくれて楽しい想い出の一日となりました。

 アメリカではエルフュー犬舎の後継者がブライアン夫妻しかいないのでエルフュー系統存続の為にブライアン夫妻に全てを任せました。
ニューヨークのエルフュー犬舎を閉舎したのを切っ掛けに、40年以上子犬を担当し献身的に「産箱から始まる基礎訓練」を行ってきたベテランのチェスター・シュルツとエラ・シュルツ夫妻も引退しました。
 ボストンのオータムメモリー犬舎のデビット氏は、チェスター・シュルツとエラ・シュルツ夫妻によって育てられた子犬を使ってわずか5年でグラウス・チャンピオンを13回獲得という先代未聞の快挙を成し遂げ若い期待の星と言われ一躍有名人となりアメリカ全土に鳴り響きました。
 しかし、チェスター・シュルツとエラ・シュルツ夫妻が引退したので自らの繁殖犬を使ってグラウ・スチャンピオンシップに挑戦する事になりました。
あの栄光から数十年経過しますが私がオータムメモリー犬舎を訪問した時に撮影した中央の写真がグラウス・ドッグチャンピオンを獲得したオータムメモリー・アイスマンです。
余談ですが、オータムメモリー・アイスマンの同腹犬オータムメモリー・ムースが日本へ輸入されていますが・・・その後の消息は不明です。
 オータムメモリー犬舎のデビット氏は内科医ですので、子犬が生まれてもチェスター・シュルツとエラ・シュルツ夫妻の行っていた「産箱から始まる基礎訓練」が出来ないので幾らトレーニング技術が優れていても競技会で勝つ事が出来ないと涙目で悔しさを語った事が印象的でした。
結局オータムメモリー・アイスマンが最初で最後のオータムメモリー犬舎で繁殖されたエルフュー系ポインターとなってしまいその後一度もアメリカンフィールド誌でデビット氏の名前が掲載される事は無いようです。
 如何に血統が良く訓練技術が上手くても高度な能力を持ち合わせ系統繁殖された名犬でも出産から母犬任せで犬として育てるのでは無く繁殖者(チェスター・シュルツとエラ・シュルツ夫妻)が母犬と子犬の間に介在して、人と犬同士の協調性を持ち備える「産箱から始まる基礎訓練」が大切だと言う事です。

◆ エルフュー犬舎から繁殖用のエルフュー系統を代金分割で輸入決定 ◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 エルフュー犬舎のブライアンは、私のエルフューポインターについての知識を理解して戴いた上で繁殖目的の牡犬と牝犬を譲渡するので日本で私が管理できる期間エルフュー系統の存続を是非お願いしたいと言われました。
夢のような話ですが、実は貧乏暮らしですので、今回のアメリカ訪問も銀行融資で訪問した次第で現金払いが出来ない事を正直に話しました。
 するとブライアンは無償での譲渡は犬を大切に扱わない人も沢山見てきているので毎月私の支払える範囲で結構ですが牡牝二頭の代金4,000ドルは生後3ヶ月を経過すると6ヶ月以上の輸出手続きが必要になるのでその時期までに子犬代金4,000ドルを支払って欲しいという事で、私は承諾し、管理費等は毎月送金すると約束でELHEW JAKEとELHEW MIDGEを輸入する契約を結びました。
 この時だけは男らしく現金払いができなかった事が恥ずかしく情けない男だと悔やまれました。
おそらく私以外の人でアメリカから鳥猟犬代金を分割払いで輸入した人は居ないと思います。



◆ いよいよ最終目的の輸入手続き開始です。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 2,010年10月9日の請求支払いと同時に、いよいよELHEW JAKEとELHEW MIDGEの輸入許可申請が可能となりました。
アメリカでの手続きはエルフュー犬舎にお任せですが、日本での手続きは私個人で行わなくてはなりません。
 税関手続きの担当者に相談しながら書類の作成ですが英語の出来無い私が困った事はアメリカの税関での問い合わせでした。
有り難い事に親切な女性の担当者が私が英語を話せない事を知って女性担当者が電話での問い合わせ手続までして頂き輸入に係わる全ての税関手続きが終わりました。
 これでアメリカのエルフュー犬舎までELHEW JAKEとELHEW MIDGEを引き取りに行く準備が全て整いました。
好意的に快く対応して下さった女性担当者には心より感謝しています。

◆ いよいよELHEW JAKEとELHEW MIDGEを引き取りに単身渡米です。◆
★ 以下の文章を読み上げます。


 全ての輸入手続きも完了し、いよいよアメリカのエルフュー犬舎へELHEW JAKEとELHEW MIDGEを引き取りに行く事になりました。
今回の通訳は、ニューヨーク在住の池口氏の紹介で、ニューヨーク在住の加納良夫氏にお願いする事になりました。
私は英語は、話す事も聞く事も全く駄目ですが、デルタ航空には必ず日本語の話せる乗務員が搭乗していると言う事で、ニューヨークまで、単身で渡米する事に決定しました。
2,010年11月24日成田空港から一路ニューヨーク向けて出発しました。
11月25日何のトラブルも無く無事にニューヨーク空港へ到着し、空港で、加納良夫氏と落ち合い、一路ボストンまで空港便で向かいました。11月の第4木曜日は、収穫を祝う感謝祭と言う事で、運賃が5倍ほど値上がりしていて驚きました。




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2023年05月16日(火曜日)
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