★ とっちゃん坊やの回想録 ★
私の田舎の方言で仕事もしない怠け者を「極道もの」と言い「飲む・打つ・買う」が加わると「ろっぽうとかろっぽう者」と言います。
私が幼少の頃は親戚縁者には妾の居る「ろっぽう者」が数人居ました。
私もその血脈を引き継いだ1人の様です。
私は田舎生まれと言うか山の中の生まれで「香美市立やなせたかし記念館・アンパンマンミュージアム」の後ろの更に後ろの奥深い山奥で生まれて育ちました。
5才の頃から食べるため見よう見まねで仕掛けた猟具で野鳥を獲り小学校に入ると従兄弟の家にある空気銃を使い小学6年の頃から親父の猟銃で野鳥を撃って囲炉裏で焼いて食べました。
中学時代からは秋から冬にかけて親父の猟銃を持ち出し学校近くの山の中に猟銃を隠しておいて帰りに狩猟をすると言う勉強嫌いな公文家の長男でした。
そんな私が狩猟免許を取得して狩猟を始めたのは、たしか1967(昭和42)年頃と記憶しています。
レミントン社製レピーター中古銃26インチ5連発を購入し主に故郷の物部村方面へ出猟しました。
当時は借家で猟犬を飼う場所もなく先輩の柴犬でヤマドリ猟を行っていました。
この頃はハンターも多かったがゲームが多く弁当を持って弾帯に25発背中に100発背負い夕方までには全て撃ち尽くす事もしばしばでした。
お互いに射撃が下手なため沢下りのヤマドリを100発で1羽くらいは仕留めれるだろうかと、よく2人で話したものでした。
数年後近くの射撃場で射撃訓練をし少しは当たる様になりましたが、いまだに上達したとは言えません。
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言いますが、年のせいか当たらなくなりました。
そこで今後の出猟は射撃の得意なヒットマンを連れて出猟する予定です。
こうでもしないと猟犬が一人前に仕上がりません。
私の愛犬エルフュージャパン・エルザとラッキートリガーでの雉猟は如何でしょう。
ご希望の方はヒットマンとして大歓迎です。
希望者は携帯電話 090-1574-3000 へご遠慮なく連絡下さい。
昭和46年友人の愛犬「トサ・ブラック・メリー」(故山本かずお氏繁殖・英セメス6歳)を戴き雉猟を始めることになりました。
この犬は、半血犬でコマンダースの血が濃い為に一人猟をする犬でしたが一生懸命に周囲をサーチングしながら何処までも々狩りこんで行く犬でした。
然しポイントは確かで良く鳥を獲らせてくれる犬でした。
弟と出猟し地元高知で小綬鶏やヤマドリに50回以上ポイントしました。
現在では考えられない夢か嘘の話です。
このメリーで昭和46年自家繁殖しジョーと名づけたオス犬を初めて訓練し誕生ごろから、指示に従いポイントも固く良い犬に仕上がりました。
親犬メリーは弟に譲り、再度自家繁殖をし、5頭生まれその中の牡犬(ベル号)を従兄弟に牝犬(マギー号)を先輩に譲渡し弟が牡犬(マーク号)を残し、その他は、知人に譲渡しました。
誕生前ごろには猟のできる犬に仕上がったのですが、従兄弟のベルは一切指示にも従わないし置き鳥にも一切興味がなく一旦フィールドに放せば繋ぐのに半日以上かかってしまうほどの暴走犬になりました。
困り果てた従兄弟は保険所へ連れて行くと言うのです。
可愛そうになり3万円で引き取りこの犬を実猟犬に仕上げたら私の訓練技術も上がるのではと思い訓練を開始しました。
私にとってこのベルの訓練が非常に勉強になったと思います。
訓練の成果が徐々に現れ全猟高知県支部の猟野競技会の若犬部門へ始めて挑戦することになり無事中央予選を通過し決勝大会へ進出(池川町(全猟高知県高幡支部)で開催)この時レザーブ賞を頂き嬉しかった事が今にも心の片隅に鮮明に残っております。
実猟は主に前腹のジョーを使役していましたが、友人が是非とも譲ってくれとの事でジョーを6万円で手放しました。
その後、四国連合にも出犬しましたが、入賞はできず、実猟でも連絡が途切れ、何を考えて走っているのか?理解に苦しむような態度がしばしばでした。
あまり鳥に強い犬とは思えないので、狩猟期間中は主に先輩のマギーで狩猟を楽しんでいました。
肝心のベルは、何処へ言ったかわからない状態がしばしばでした。
ある日のこと犬を探し回るのには12番銃は重たくしんどいので20番の水平2連銃を買って始めて出猟出猟しました。
何時もの通りベルは何処へ言ったのやら?!先輩のマギー相手に山の頂上の横道を歩いていると檜林の浅いシダに向けて仁王立ちになってポイントをしているベルがいるではありませんか。
後ろに回ってもビクともせず固いスタンチです。
早速新調の水平2連銃に装填してイケの命令一発飛び込むや小綬鶏が1羽飛び出しこれを運良く一発で仕留めベルが一気に駆け寄りあわてて噛んだあの瞬間の出来事はまさに人犬一致と申しますか私にとってもベルにとっても忘れられない1日となりました。
実は、このベルの訓練は、共猟で絶対負けない実猟犬に仕上げたく一生懸命訓練しましたが余りにもひどい犬のため猟友から罵倒された事がきっかけでベルは鳥猟犬でしかも血統もそこそこだし絶対訓練しだいでは何とかなるとの素人考えでそこそこの犬に仕上げて見せる宣言をしてしまい猟友から笑われたものでした。
ベルは、あの小綬鶏を噛んでから態度が一変し何時も同行のマギーは素直でハンドルに乗って使いやすい実猟犬で点数をつければ90点以上の犬でした。
あの日を切っ掛けに共猟中に鳥臭があれば必ずベルが先にポイントし先輩もご機嫌斜めのことも屡々でした。
ですが時々深入りをしてしまう癖があり心配させられましたが。
ベルの深追いにはちゃんとした理由があったのです。
要するに鳥臭があるからついつい主人を忘れてしまっていたようです。
以上のような癖があるためにゲームソナーを付ける事にしました。
ゲームソナーを付けて猟をすると私の思った通りベルの姿が暫く確認できない状態の時にはゲームソナーの音便りに探して行くとそこには仁王立ちのベルの姿が何時もありました。
噂によればこのゲームソナーはトヨタ部品で有名なデンソーの社長が使用するため技術陣に作らせたリロケートまで音で読み取れる感度の良い優れもので現在発売されている位置とポイントを知らせる単純な機能とは全く異なります。
しかし防水が悪いため故障が多く販売中止となりました。
私は3個購入し一つを故障する前に防水加工とスピーカーを首輪の上に取り付ける改造を行い故障無く機能していますが歳と共に難聴になり犬の息が聞こえる範囲しか聞こえないので何の役にもたたず日本キジ猟は犬の協調性に頼るしかありません。
このベルの特徴は日本キジを鼻先或いは顎の下に竦めて確実なボディーポイントと飛び込み命令に対し躊躇無しの鋭い飛び込みです。
飛翔命令で時としては円を描く様な鋭い飛び込みが躊躇無く出来るので日本キジは真上に飛び上がって飛び去るので撃ち安く運搬も確実で良く獲らせてくれるベルでした。
ベルの日本キジ猟で一番面白く楽しませてくれたのは香川県の小豆島でした。
猟友の方々は小豆島の雉は這うので犬にポイントさせにくいと言われましたがベルで猟をする限り一度もその様に感じたことはありませんでした。
よく鳥を取らせてくれたベルでした。
運搬も確実でしたが一度だけ雑巾のようにズタズタになった雉を途中まで運搬し、道の真ん中に置き遥か下の谷川へ水を飲みに行った事がありました。
私は遊びに就いては貪欲な人間な者で、ただ鳥を取るだけではなく、もっと高度な猟芸に興味を持ち、昭和55(1979)年高知のサンランド犬舎を訪れました。サンランド犬舎は私の家から徒歩で5~6分の位置にあり以前同じ町内に住んでいたこともあり知ってはいたものの話は一度もしたことがありませんでした。
ここで私にとっては、衝撃的な犬との遭遇でした。
今は当たり前ですが、当時は本当にビックリしました。
まず犬舎での犬の姿に驚きました。
当時エルフュー系が少し入ったポインタとスカイハイ系のセターでしたが犬全体がエネルギッシュで鋭い眼光(顔・鼻・耳)あの狭い犬舎におりながら尻尾を力強く突き立てての凛々しい姿、あの時の衝撃は、目から鱗が落ちると言うか、私の文才では旨く表現できません。
同じ犬でも飼い方と訓練でこのように違うものかと本当に心を打たれました。
数日後早速次に繁殖予定のオス犬を1頭予約しました。
名前もシイーザと命名しました。
私がサンランド犬舎を訪れ、ここの犬を飼ってみようと思ったきっかけは以下の理由からです。
サンランド犬舎では当時年間80頭以上の子犬を販売していながら(私が訪れた時には既に1000頭を超えたと言っていました)世間の評判は、「走りすぎる」「言うことを聞かん」「シャイな」「ガンシャイになる」等々悪評ばかりでした。
サンランド犬舎主は元警察犬の訓練士で当時私が知ってからでも15年間猟犬研究所の看板を掲げて商売をなさっていたので、只者ではないと思いどうしても一度サンランド犬舎の犬を訓練してみたいと以前から思っていました。
サンランド犬舎主と話ができるようになった私はサンランド犬舎主よりいろんな話を聞かせてもらえるので毎日お邪魔する様になりました。
以下その時話して頂いた事を思い出しながら書いてみます。
土州犬舎からサンランド犬舎へ犬舎名を変更した話
土州犬舎時代は、在来犬と米系の組み合わせの繁殖でした。
軽井沢で開催の本部競技会において幼犬部門でスカイハイ系の英セターがスタートの時は風が逆風だったのでコースと逆の方向に出走し失格だったがその英セの頭脳的な捜索を見て脳天に5寸釘を打ち込まれたような衝撃を受けたと話していました。
この英セに的確な訓練を行っていたらと思うと体がゾクゾクしたとも行っておられました。
又、徳島の方が輸入したエルフュー系のライフル・エルフュー・ベンFDSB 818168もまったく同じだったそうです。
後にライフル・エルフュー・ベンを売っても良いと言うことになり当時80万円でライフル・エルフュー・ベンを購入し、このベンがサンランド犬舎の基礎となったそうです。
又、英セもスカイハイ系を基礎に改良研究を重ね米系100パーセントのサンランド系の誕生であります。
良い犬ほど猟芸を観察するのは非常に難しく良い犬を見たり使役した経験とその人の感性が要求されるものだと言っておられました。私も同感です。
犬を見るのは、「歩体の状態」「目の付け所」「鼻の状態」「耳の状態」「頭の状態」「尻尾」等の天賦天稟を繊細な勘と経験で見ていかないとだめだとも言っておられました。
この見方を誤って訓練すると一生懸命良い犬に仕上げようと努力しても実際は一生懸命ダメな犬にしている場合が殆どだとも言っておられました。
サンランド犬舎主は、40年前私に日本の猟場で日本キジ犬として使役する猟犬は絶対にこの様な系統でないとダメだといっておられました。
余りにも先が見えすぎていたのか当時は、賛否両論で猟犬の殆どが在来系・在来系と米系の半血が主流でした。
私は、当時のトライアルマンや実猟者が、この時点でサンランド犬舎主の指導を素直に受け止め訓練に精進しその輪を広げて行ったら猟犬のレベルも変わっていたのではないかと思われ40年の時間は取戻す事は出来ないので非常に残念に思われてなりません。
さてサンランド犬舎主から子犬を飼うに当たって今まで「見たり・聞いたり・経験」した事を全て忘れ去り脳の中を白紙にして訓練をやってみないかと言われました。
其の時私の脳裏に浮かんだのはこれだけ多く作出しながら上述のごとく評判があまり良くないので、そこに何か隠されているはずだと思い白紙になって訓練する事を決意しました。
ここから私の本格的な訓練が始まりました。
私は、この時人間は生まれた環境や受けた教育及び自分の適材適所で職業も選ばれるのですが鳥猟犬はどのような環境にあろうとも職業は狩猟一筋でそれ以外に転職するとすれば愛玩犬だと思いました。
訓練は非常に大事な奥の深い事だと思っています。
当初は訓練といっても私が素人なもんで高度なものではありません。
まず基本を教わりました。
訓練は、条件反射を利用した習慣性の固定だと言うことでした。
一言で言えばただこれだけの事ですが、なかなか奥が深いのですが訓練とはこの一言に尽きると思います。
訓練は、「教える訓練」と「素質を引き出す訓練」と「鍛錬」だと言う事です。
訓練は家庭で出来る訓練と野外でなければ出来ない訓練は皆様ご承知の通りだと思います。
訓練は、子犬を飼い始めた時点から始まっていると言う事です。
良い事も悪い事もこの時点から自然に学習すます。
特に悪い事はすぐに覚えるものです。
家庭でも野外でも訓練中の褒美は餌ではなく愛情のこもった愛撫のほうが良いのです。
後で気がついたことですがこの事は一通りの猟芸を教えていく上で非常に良い結果に繋がります。
最近は愛玩犬ブームでインターネット・TV・書物で良く見かけるのは餌を褒美に与える訓練です。
愛玩犬としての服従訓練であればそれでも良いでしょう。
然し鳥猟犬は作業犬として餌の褒美では無く主人のために働き主人に誉めてもらうことが作業犬の血脈を開花さすことに繋がるのです。
教える訓練は条件反射を利用した習慣性の固定ですので何時でも出来ます。
クラスの高い高度な日本キジ猟犬に仕上げるためには本能の開花時期に適切な訓練が必要です。
鳥猟犬を日本キジを目的の作業犬として訓練を開始する適正時期を人間に例えて考察すると人間社会で人生における仕事の基礎を学ぶ幼稚・保育園から義務教育9年間は私の経験やClarence Pfaffenderger論文によると子犬は生後50日から生後120日までです。
例えば産箱から始まる基礎訓練の出来ていない子犬を生後60日で購入したとします。
この子犬は母親が犬として育てたのでアイコンタクトや主人の思いに対して反応しません。
したがって最所に呼び戻し等の基礎訓練を行う必要があります。
これが簡単な様で中々上手くいきません。
これを行っている間にタイムリミットの60日つまり生後120日はあっという間に過ぎ去ります。
この状態で野生鳥の訓練に入ると必ずDarby brokenつまり年を重ね体が出来てくると興奮した猟欲でハンドルにのらなくなってしまいます。
例え良くなったとしても上述のベルくらいだと思います。
教える訓練は、賞と罰をはっきりと区別して教えるべきです。
賞はGoodBoy罰はNoの一声で教えその表現力は嬉々としたものでないとなりません。
其の為には訓練をやり過ぎないで喜んで訓練に応じている一番面白い時点で中止して飽きることの無いように心がけることです。
特に運搬は、この遊びの中で完璧に教えておかないと将来絶望だと思います。
よほどの偶然の切っ掛けがない限り完璧な運搬は望めないでしょう。
何故ならば近代になって深く根付いた運搬は運搬専用犬を使うので運搬の血脈は薄れているからです。
家庭訓練中子犬は呼ばなくても主人に寄ってくるものです。
ここで勘違いをしない事です。
主人に寄って来るのは子犬自らの意思で寄って来ているので呼びの命令で来ているのではありません。
的確な呼びの命令語を教えるべきです。
自主的に来てもらいたい時に来るのは協調性とその本能の開花による者で非常に大事です。
命令の呼びは如何なる事があろうと絶対に来ることです。
子犬の成長は早いもので、基礎訓練を根気良くやるのですが僅か1月か長くても2月足らずです。
ここで大事なのは、繁殖者が30日か90日の間に基礎の訓育をやってくれているかいないのかでは子犬を受け取ってから後に大きく差が出てくるものです。
サンランド犬舎の子犬たちは、基礎の訓育がされているので運搬や呼び込み訓練は、サンランド犬舎主の指導通りにすればいとも簡単最初から仕上がっているような感じでした。
しかし私の愛犬シイーザの兄弟は確か8頭いたはずですがある日のこと兄弟が公園へ全犬集合することになりました。
いわゆる犬自慢です!?
ところが公園で放犬するや、勝手気ままに走り回り繋ぐのが大変呼びに答えて即繋げた犬は私のシーザともう1頭ベンのみには驚きました。
このベンを訓練したのは私よりか1年ほど前に私が紹介したサンランド犬舎主より訓練を教わっている方でしたが最初の犬は訓練に関して頭を白紙に出来なかったために失敗しました。
今度こそはと犬名もリベンジにあやかってベンと名づけ頑張っている方でした。
まだ猟欲も出てない子犬たちの将来はどうなるのかと心配でした。
この時点で何で評判が悪かったのかが良く分かりました。
犬ではなく訓育・訓練・鍛錬の方法に問題ありと言う事です。
シーザの基礎訓練も終盤を迎え夜人の少ないスポーツ公園等で訓練しました。
訓練内容は、服従訓練でした。
私はこの訓練は奥が深いものですが羅針盤を入れると言っています。
余談ですが私が現在飼っているエルザとラッキートリガーは協調性本能が深く根付いた系統なのでこの服従訓練はフィールドを一緒に歩くことで私が学ぶことが多いようです。
少し遅くなりましたがシーザも生後120日たったので野外訓練に入りました。
鶉のおき鳥訓練を数回やってその後、フィールドで雉や小綬鶏のいそうな場所へ数回連れて行くうちにポイント出来る様になり喜んでいたところある日突然目の瞳孔が開き目玉がグリーンに輝き少しふらつきました。
この時を境に猟芸が悪くなり狩猟中に突然痙攣を起こしたりするアクシデントにあって愕然としました。
それでも私が今まで見てきた犬では最高の仕事の出来るシーザでした。
サンランド犬舎主からお客さんにシーザを見せてやってくれないかと言われ銃禁のフィールドで共猟することになりました。
相手犬は、70万円で購入したリューエリンセター6歳でした。
1時間くらいでシーザは6回雉にポイントしたのですが相手のリューエリンセターは一度もポイントできずシーザを売ってほしいと言われたのですが持病もちのシーザですので可愛そうで手放す事が出来ませんでした。
彼はその後サンランド犬舎より英セを買ったそうです。
その後サンランド犬舎主よりお金はいらないのでもう一度訓練をやってみないかと言われ1981年11月10日生れの英ポ牡サンランド・ハイエスト・ジョリーを無料と言うわけにもいかず3万円で購入しました。
仕事の関係で家庭訓練は出来たのですが野外訓練が出来ないまま7ヶ月を迎え慌ててウズラの放鳥鳥を使って鼻入れ儀式を行い数日後休猟区空けの場所へ連れて行きました。
1時間足らずの間になんと13羽の雉を出しました。
突き出しもあったのですが7回ポイントしたのには驚きました。
ジョリーは日に日に実力を出し私にとっては大満足の犬に仕上がりました。
共猟してもシーザの出る幕がないのです。
後に後悔するのですがあまりにもジョリーが良いのでシーザを猟友に頼んで処分してしまったのです。
ジョリーが2猟期目に入った時の事です突然シーザと同じ事になってしまったのです。
其の数ヵ月後突然食欲がなくなり動物病院で診察していただいたのですが其の日の夕方私の手に浸した一滴の水を舐めて私の顔をじっと見つめてゆっくり目を閉じ静かに息を引き取ったのです。
この時のショックで狩猟は休まなかったのですが1982年から17年7ヶ月間喪に服す意味で一切鳥猟犬を絶っていました。
この間毎日のようにサンランド犬舎訪れ譲渡先の基礎訓練の手伝いなどを行いながら勉強しました。
そろそろ喪が明けても良い7年7ヶ月を過ぎた頃でした。
私と共にサンランド犬舎主の元で訓練を習った猟友が繁殖目的で台牝を購入するので繁殖をお願いしたいと言う話がありました。
台牝のゼファーズ・パフォーマー・ベッキーの父親はデスティネアーズ・ダッチ・ケビンFDSB 443523 母親はゼファーズ・バラカ・ジャンFDSB 420330です。
台牝ゼファーズ・パフォーマー・ベッキーから察するにOpenCountryで名高いテコア系の重血なので日本狭しとばかりぶっ飛ぶ力のある系統なので私の訓練技術の再確認が出来る良い機会だと思い心良く繁殖を承諾しました。
ベッキーが3才を過ぎた春のことです。
猟友3人で香川県琴平町付近へ山菜採りに出かけました。
そこでベッキーにゲームソナーを付けて放犬しました。
暫くは送信ボタンを押せばソナーの音が聞こえていましたがそのうち聞こえなくなりました。
必死になって探しましたが帰ること無く見つかりません。
周辺の有線放送にも協力戴きましたが見つかりません。
その後迷い犬の看板を作り要所急所へ看板を設置し4日間捜しましたが見つかりません。
諦めていた丁度1週間目の日曜日に放した場所から約40キロ西側の人から疲れ切ってフラフラのセターが山頂のミカン畑を歩いていたので保護しているとの電話があり無事に犬舎に帰ると言うアクシデントもありました。
ベッキーが4才になったので日本キジに強い系統CHトモカの系統を導入する目的で全猟誌の広告を見て千葉県の和田幸二氏の輸入犬CHハンターズ・ビリー・レイFDSB 413055を交配し7頭生まれました。
私も牝のパラドックス・エリーを飼育訓練しました。
サンランド犬舎のシーザやジョリーと性能を比較すると相当劣っていると思いました。
シーザやジョリーは一度フラッシュさせた鳥は飛び込んだ位置の風下へ誘導すると必ず簡単にそこに置いた物を取りに行く感じでポイントできました。
エリーやエリーの兄弟はそう簡単にはポイント出来ませんでした。
鳥猟犬の繁殖は本当に難しいものだと思われる良い経験をしました。
サンランド犬舎の犬は何処にいるかわからない鳥を探したより飛び込みの鳥を探した方が確実で簡単だと思っていました。
猟友や訓練仲間は飛び込みの鳥は難しいと言われます。
今考えるとサンランド犬舎の犬はすごかった。
あの病気にさえならなかったらと悔やまれてなりません。
さて、独自の訓練を行って完成させつつある愛犬エリーですが成犬になって全猟高知県支部秋季大会では2連覇優勝し春季大会では2連敗しました。
最所の負けはポイントしたのですが、位置が確認しにくく短期を起こしフラッシュの笛を吹き鳥の飛来と犬の確認が出来たのですが優勝できず。
2回目は完璧な勝利直前に私の無知と我が儘な性格で雨に濡れて飛ばないウズラが這うので銜えると将来良くないので審査長の許可無しでグラッピングしたので入賞できないかと思いきやレザーブ賞のトンボの首で全国大会へ出犬しました。
エリーは全国大会予選2日目に1羽の雉も居ないB7コースを走らせました。
相手犬は東京の若林氏のエリーと同じ父親CHハンターズ・ビリー・レイの直仔でした。
義兄弟共に予選通過できず負けてしまいました。
以上私の回想録を独断と偏見で書いてきましたが作文が下手で読みづらいと思いますがご勘弁を願います。
私の訓練手法については、別途紹介いたします。
実は訓練について格好よく書いてきたのですがサンランド犬舎で習ったことは彼の経験と1964年9月に初版が発刊され65年67年71年79年第5版と40年以上たっても未だ米国猟犬界のベストセラーの座に君臨する62年間世界猟犬界のトップの座にあられたエルヒュー犬舎主ロバート・G・ホイール氏の著書Wing & Shotの翻訳本を読んで勉強するよう進めてくれました。
この著書は、2018年に廃刊となりましたが現在でもネット販売されベストセラーの一冊です。
Wing & Shotは坪井義夫氏が翻訳され著者の許しのもと日本語版が出版されました。
然しこの著書は要点が正確に書かれていますが肝心の訓練テクニックの詳細は書かれていません。
従いましてこの著書を掌握するには経験が要求されます。
つまり「ニワトリと卵」の関係で著書のセオリーに順応した訓練が出来なければ著書の意味も完全に理解出来ないと言う事です。
この著書は読めば読むほど奥が深く当時若かった事もあり仕事も寝るのも惜しんで暗記するくらい勉強し自分の訓練犬に当てはめて訓練すると今までに経験もしなかった、良い犬に仕上がるので密かに個人で優越感を楽しんでいました。
しかしやはり年でしょうか!愛犬エリーが順調に仕上がった自信も手伝って広く猟犬界へアピールして少しでも立派なシューティングドッグになる様なヒントになれだと始めてHome Pageを使って公開を試みました。
しかし誰一人興味を持って訓練を試みる人も現れずHome Pageはドメインとサーバーレンタル料金がかかるので国民年金では維持できず一昨年elhewkennels.jpを改訳しました。
サンランド犬舎主は、数千頭繁殖販売してきました。
譲渡先の犬が立派な実猟犬になれば宣伝にもなるので訓練指導を惜しみ無くやって来ましたがやるべき事をやらないで犬舎や犬のせいにし成功に至らない状況をこの目で見てきました。
自分に出来なければ必ず犬舎や犬のせいにするのです。
かと言ってウイング&ショットに基づいて訓練しても日本キジを得意とする系統で無かったり産箱から始まる基礎訓練が出来ていなければ決して成功しません。
良い基礎の訓育・訓練・社交的訓練つまり「産箱から始まる基礎訓練」がの出来て血統の良いものであれば簡単に成功します。
成功と言うよりむしろ犬から鳥猟犬の本能を学ばされることが多いと思います。
成功しない場合は何か間違った事をやっているのです。
私の経験では完成犬まで到達しないけれども初心者の人が成功率は経験者より高いと思います。
訓練テクニックだけでは無く1週間に3~4回程度10分~30分程度犬と接触機会が作れるのが最低の条件です。
これが出来ない方は、有名な実績の有るプロ?に預けるべきです。
決して自分でやって最後に裏切られるような事にならない様に注意が必要です。
結局素材犬が米系なら訓練も米系という事です。
1973年AmericanField誌の編集長ウィリアム・F・ブラウン氏の来日公演で彼はNationalChampionたるものは、カバードッグとしても十分使役できる犬つまり地形・地物・その場の環境に合わせて!協調性のある犬が、本当のNationalChampionだと断言しています。
私は全日本狩猟倶楽部で所有していた16㎜フイルムを見て納得しました。
それはNationalChampionアリエルを使って神の手を持つと言われたクラウドモートンが水平銃を小脇に抱え松の小枝をかき分けながら徒歩でグラウス猟を行うシーンでした。
自信を持って立派な実猟犬を目指して頑張りましょう。
この来日公演の内容を読んでサンランド犬舎主は自説の再確認が出来た思いだ!と述べています。
旧HomePage:http://kumon.ptu.jp/
UpdateDate(C)2019/08/15